鏑木清方
かぶらぎきよかた、と読む。清方の旧居を利用した美術館が鎌倉駅から鶴岡八幡宮に行く途中にある。桜の喧騒にはまだ1週間はやい。雨宿りをかねて寄った(3月25日、午前)。私にとって鏑木清方といえば「築
地明石町」である。町の名前でなく見返り美人風の傑作。切手にもなったモデルは明治期麗人として有名だった江木万世。中勘助の東大時代の友人の妻である。彼女は勘助への想いをひめたまま嫁ぎ妙子を生んだ。哀切の慕情は封印される。万世と妙子、2代にわたる交流は中文学の縦糸である。勘助は万世との挿話を関係者がすべて死去した74歳で書いた。プライバシーへの配慮。その辺りのことは引用を含めて右サイド上「賀茂川の風にさそわれて」のどこかに書いているので確認したかったが見
つからない。受付の館員さんに築地明石町を聞いたら「あれは個人蔵です。当館には下絵があります。いまは展示されていません。」とのこと。原画を見た人は少ないと思う。本物に会えるのはいつ。警備員さんの許可を得て美術館の庭を撮った。昼食に天ぷら蕎麦を食べていたら弟から電話。石川で震度6の地震があったが私の次男は大丈夫かという確認でいそぎ自宅に電話した。後で輪島とわかった。
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コメント
愛するゆえに遠ざかる。理由は、どうせ届かぬ高嶺の花だから、は現代でもある。いつでも摘みとれる花なのに性愛ぬきで慈しむだけ、双方シングルで不倫でもない、はありうるでしょうか。いや、ゲスのかんぐりでした。勘助は万世(切手美人)の娘妙子(35歳で死去)を父親がわりでかわいがり妙子もまた慕いました。
投稿: プラトニックラブ | 2007年3月29日 (木) 00時17分
私は中勘介という人を知りませんが、お書きになっているその方たちの関係は夏目漱石の「こころ」の裏返しのような話だなと思いました。それにしても“哀切の慕情は封印される”という言葉には、現代には求められないような美しさを感じました。同時に倫理なのかやさしさなのか、そしてそれでいいのかと少し考えてしまいました。
投稿: 千里山の凡人 | 2007年3月28日 (水) 22時27分
江木万世は二女の母になった。夫が早世する。独身を続ける(58歳まで)中勘助になんども結婚して、とせまる。勘助はつれなくも拒否し仏陀の慈悲をもって接する。ザンコクなロマンあるドラマです。
投稿: 東京遊民 | 2007年3月28日 (水) 18時16分
かなり前でしたので、おぼろになりましたが、東京国立近代美術館の「鏑木清方展」で「築地明石町」も見たように思います。
ご造詣の深さに敬服いたします。
投稿: 地下水脈 | 2007年3月28日 (水) 17時00分