2009年2月 6日 (金)

「実」の感動を

2月4日(水)ランチミーティングで一人が夫婦で豆まきをしたと披露。あ、そうだ昨日は節分だった。子供は巣立ち孫も同居しない老夫婦だけU000606の豆まき風景を想像してにんまりである。それからひとしきり各人の出身地富山、和歌山、静岡、鹿児島の風習思い出交換。新築棟上で餅や硬貨を紙に包んで屋根からまくのは共通。厄払いや結婚祝いでのうろ覚え行事、小学校に入る前後だから定かでない。

私は七歳のときの七草粥で母親に連れられて隣近所を回ったこと、お盆にのせたお椀に少しずつ粥をついでもらって自家で食べた、おいしかったなあと話した。去年の正月明けだったか、スーパーで売っていた七草粥セットで作ったが味付けがわるく?まず~い。止めときゃよかった。

せめてセリぐらい山野に取りにいけば味わいも違うだろう。なんでも買ってすませる。情報はすかざすネットで検索。便利ではあるが季節感が消えうせた日常。節目、強弱のない都会生活はうるおいがない。年寄りがむかし懐かしい、でなく「なんかおかしいよね」と結論。

山根一眞氏語る。「実」の世界に感動はある、自然の不思議心養う(日経081120)。「オタクは社会性を持たない趣味人のこと。社会性を持って何かに没頭している人はプロフェッショナルと呼ぶんです。」油や土にまみれた3Kのものづくり現場に真の感動がある。山根氏は早くからパソコンなどデジタル機器を愛用し新技術との格闘記「デジタルスパイス」を日経に連載、愛読した。このブログのカテゴリー「昨今IT事情」は山根氏のエッセイの影響ではじめた。

山根氏がドイツ語学科卒と知ってデジタル機器に親しんだりソフトを使いこなすのは機械に強い適性や理系素養は関係ないことがわかる。ところでネットコミュニティで作られる感動は対面の雑音がない。真かウソか知らないが、純化した「あやういけれども新しい形の感動」といえないだろうか。人生経験の長いシニアはそのあやうさに気づくだけまし。おじいちゃんの出番ですよ。

デジタル機器やネットワークが苦手、敬遠している人がネット社会の弊害を言っても説得力がない。もっと使って便利さをわかってから発言したら、と思う。しかし山根氏のようにデジタル先端人、奥義を極めている人から記号コミュニケーションのゆきすぎに警鐘をならされると確かにそうだと納得する。正法眼蔵随聞記の各行がいまもみずみずしいのに対しデジタルエッセイの題材は日進月歩の技術革新で1年もすると古くなる、色あせる。ま、いいか。

備忘録:2月3日(火)昼間、保土ヶ谷駅かいわい、蛍光灯交換など数時間を過ごした。210円+690円=900円×2 歩きまわったあとのグラスビール。 02/02 18:54 次男からメール(悲傷)。しばらく考えて返信した。文字だけで心情表現は難しい。希望が命。

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