道元禅師とトイレ作法
テレビで正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)を聴いたがたいくつきわまりなかった。再読または熟読するとすれば無人島で他に読みもの
なくすることない時かなと思う。「只管打坐」の注釈を学んだとてなんになろう。相田みつをの番 組を観てがぜん道元禅師や正法眼蔵随聞記に興味がわいた。
洗浄の巻、というのがあってトイレ作法がリアル細かに書いてあるのだそうだ。肉、魚禁止や食べ終わった後のお椀を布でふき取る厳格な作法は知られている。考えてみれば身体の入りに作法があって出に作法がない、どうでもいいはずがない。大小の後の左右の手を使いわけた洗い方、文字を書いた古紙を使わない、竹べらの使い方など。戦後は紙もなかった。
相田みつをの書の人気はすべて自分の言葉であることだと思う。道元を読み込んで実践しているが正法眼蔵随聞記からの引用は皆無である。引用が多いのはたぶん「自分はこんな箴言にあこがれています」というメッセージであろう。だが、消化不良の文字埋め引用はまったく読者や聴き手に響かない。聞きかじり受け売りの自己陶酔。
血肉になった言葉はまず行動にあらわれ日常茶飯事が変わる。よって道元に感動した私は、トイレでは小でも座ってする、汚したらトイレットペーパーでふき取る、を心がける。さらにカミさんの留守にワイシャツやカジュアル上衣のアイロンがけを丁寧にやった。「高度の判断」が常時の組織リーダーはどうか。下手な思索は休むに似たり。








最近のコメント