縁あって親子
二十歳(はたち)過ぎれば立派な大人だから、子供からSOSが発せられないかぎり干渉しない。老いては子に従え。この一般論に対して世の親御さん方のケースバイケースはいかがなものであろうか。
故郷を遠く離れて都市部で核家族を作った我々の世代では出産や子育てが「よきSOS」、あうんの呼吸で親のサポートを期待し親側も当たり前のように応えた。出生の暗さから無頼漢を気取る平清盛、決然としてはみ出しを押し戻し既成の価値観で枠にはめ込む父、平忠盛、はじまったNHK大河ドラマを見て思うことである。清盛は結局わかげの至りで父のあてがった路線に服従する。
親は子に自分たちより幸せになってほしいと幼年期からあれこれ画策する。親が実現できなかった夢を子に託して自己増殖する。素質がない、別な性向、本人にやる気もないとわかってようやくあきらめる。子供やその伴侶がある時期、とても親たちにはかなわなかった活動をするのを見て、期待はふくらむ。そして世の中そんなにあまくない、親たちが経験したことのない艱難辛苦に遭遇する事態に周章狼狽する。願わくは、失意泰然、得意淡然が高僧の心境だが、普通人は失意で落ち込み、得意で調子に乗る、ではなかろうか。私もその一人である。
母は子供たちが結婚した時期から、それまでの呼び捨てを止めて「さん」づけで名前を呼ぶようになった。とくに嫁の前で、もう自分の子供扱いをしないという区別である。頼まれてもいないのにおせっかいする親の役割は終えた、という自戒もあったろう。深夜うなされるようなピンチの時期、三半規管の奥に母の励ましの声を聞いた。母がしたように・・・はメール時代の私の継承である。健気にも前向きの気持ちで生き抜こうとうする子供たちへのおのずからなる敬意、「父の背中」でなく「子の背中」に教えてもらっているのは親のほうである。禍福は糾(あざな)える縄の如し、は永遠の真理。
備忘録:上の写真は川崎の旧東海道。母と同じく多くの同じ恩を受けた父親については別の機会に書こう。1月17日(火)出勤前、順調に取り込んでいた
テレビ録画ワンセグのマイクロSDカードへのダビング、手さぐりで32インチテレビの後ろをごそごそ、カードの差し込み口を探していて、ポロリと落とした。写真、見えているB-CASカードの下にある。下のスチール棚にはねて奥したに落下。恐れていたことが起こった。スチール棚全面にカバーを敷く抜本対策しかない。18日(水)は朝から、机をベットの上に、その前に本多数、ペンケースその他ごちゃごちゃを撤去、ようやく落下カードを発見した。ほっ、これが前段。段ボール箱を開いてスチール棚の覆いとした。そして撤去物をすべて元に戻した。掃除、洗濯、料理など定例ワークとは別の特別家事(作業)である。1月20日(金)ハナ風邪、迷ったが理由を言わず出勤を休んだ。夜の「ネットワークの運用管理」には出た。1月21日(土)夜は「パソコンの遅い対策」の説明者、休むわけにいかない。1月23日(月)、市役所で住基カード=住民基本台帳カード(写真入り)を取得、京急川崎駅、川崎競馬周辺を歩く。旧東海道である。横浜へ移動、保土ヶ谷駅から相鉄線西横浜駅に歩く時間、3時過ぎには傘がいるほど降ってきた。西横浜駅から山越え桜木町へ歩く横浜水道、緑道は次回好天気にトライ、見当をつけるだけに終わった。うす暗い。














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